第一回:負けんど!の思いは宇宙まで

インタビュー第一回:若松泰誼さん

宮崎県日南市出身の若松さんは、埼玉県狭山市に本社を置く大星電機株式会社の創業者です。
まもなく創業50年を迎える大星電機は電機、電子、ハーネス、ロボットティーチング、ソフトウェアと幅広い技術を保有し、さまざま業界をサポートしています。大星電機のハーネスは、宇宙ロケットや国際宇宙ステーションに使われており、その技術力や信頼性は業界においてゆるぎないものとなっています。
今回は若松さんに創業から現在にいたるまで、そして故郷宮崎に対する思いをお聞きしました。

 
 

インタビュアー:水居 徹
アイコムティ株式会社代表取締役社長
宮崎県在京経営者会議常任幹事(IT担当)

負けんど!の思いは宇宙まで

水居:本(若松氏の著書「負けんど!」)を読ませていただきました。若松さんの人生を凝縮したような内容と感じました。

若松:当社の40周年を記念して出した本です。自叙伝を出すような人物でないと思っていましたが、自分の思いや、社員への感謝、恩師やこれまでにお世話になった方々のことを書き残したいと思い、出しました。

水居:正直、数箇所で私は涙が出ました。若松さんの人生に感動いたしました。あらためて、いくつかお話を聞かせてください。
お生まれは日南ですね。

若松:はい、日南市の吾田です。吾田小吾田中学を出ました。父親は日本パルプ工業(現王子製紙の前身)の技術者で、男3人女3人の6人兄弟の次男です。

水居:高校は大淀高校(現在の宮崎南高校と宮崎工業高校の前身)でしたね。

若松:大淀高校の電気科は40名の定員で、卒業生が即戦力となるため、企業からの求人も多く、人気の学科でした。周りからも若松が受かるはずは無いと言われましたが、合格しました。

水居:恩師のゴッツンが若松さんを抱き寄せる話が本にありましたが、思わず涙がにじみました。

若松:はい、私は本当に人に恵まれました。ゴッツン、後藤先生もそのお一人です。学生時代の恩師や同級生、先輩にはいろいろと助けられました。今でもお付き合いしている方もたくさんいます。

水居:高校卒業後、中越パルプ工業(薩摩川内市)に就職されましたね。

若松:東京オリンピックが2年後という時期で、国中の産業が成長していく時期でした。景気も上昇し、みんなが前向きに懸命に働いた時代でした。一方で仕事は電気設備の管理という単純なもので、だんだんとそこに楽しみを覚えなくなり、退社しました。東京の義兄の電気工事会社に入りました。

水居:若松さんのお姉さんのご主人ですね。

若松:そうです。東京オリンピックの関係で、九電工が東京に進出していて、その下請けとして恒電舎という会社を義兄が経営していました。メインの仕事はブリヂストンの東京工場での電気工事でした。ブリヂストンでは、電気工事と制御の2つの仕事があり、前職で制御を担当していた自分は次第に重宝がられるようになりました。
本田技研での点検工事の話をいただいたことをきっかけに独立をしました。29歳で若松電気を立ち上げました。1972年の7月です。

水居:本田技研の仕事は増えていったのですか?

若松:九電工の下請けの1社にNという会社があり、そこの方にご紹介いただいたのが本田の仕事だったんです。一方で、中越パルプ時代の同僚に偶然再開したのですが、彼が本田技研の狭山工場の施設課にいたのです。彼からの依頼が増えていくのですが、当然ながら、N社経由になり、マージンを抜かれてしまいます。直取引をN社にお願いをしましたが、交渉ははねつけられました。まずい結果になったわけです。

水居:本田技研の仕事はなくなったのですか?

若松:当然、N社からは圧力があるかな、と思っていました。ホンダエンジニアリングの購買の方から、法人化をしておいてくれと言われました。法人化を考えている矢先に、ホンダエンジニアリングから本田技研浜松工場の仕事をいただきました。その際にブリヂストンサイクルの方も工事に来ており、そこで知り合ったきっかけで、後々、ブリヂストンの仕事ももらえるようになりました。

水居:若松さんの「人に恵まれる」というところですね。

若松:そうなんです。その工事をきっかけに時間はかかりましたが、本田技研向けの口座を取得しました。
また、あるときには、静電塗装のシステムの開発打診があり、それを成し遂げました。たいへんでしたが、あきらめずチャレンジし続けました。本田技研鈴鹿工場のラインに60個の静電塗装装置を納品することになりました。

 
 
インタビュー第一回
 

水居:宇宙用ワイヤーーハーネスは大星電機が広くその名を知られるきっかけと思いますが、どのような経緯だったのでしょう?

若松:当社の営業マンが石川島播磨重工業(IHI)の宇宙事業部の課長と私を引き合わせたのがきっかけです。国際宇宙ステーションで日本が開発をした実験棟「きぼう」の実験関連の装置をIHIは担当していました。そこで使うハーネスを作らないかというものでした。私はいつものとおり、朝飯前と引き受けました。しかし実際ハーネスは初めて取り組むため苦労しました。専用の工場を用意し人も雇いましたが、10ヶ月しても完成しない、IHIの検査に合格しないのです。工場長にはもうあきらめようかと相談しました。するとその工場長、横山がもう少しやらせてくださいと涙を流しながら訴えてきました。私はIHIに出向き、技術者を派遣してもらいました。それにより合格するようになりました。横山の執念、IHIの指導いただいた技術者、そして工場の女性を中心とした社員のおかげでIHIとの取引がはじまります。

水居:女性の活躍があったんですね。

若松:ハーネスの製造で、私は女性の仕事ぶりに感心しました。時間をかけてマニュアルとおりにはんだ付けを何時間もやるのです。女性の忍耐強さ、辛抱強さがこの仕事をやりとげたのです。それだけではないんですね。ハーネスと同じ工場で配電盤の配線作業をしているのですが、女性らしい感性でほどよくカーブがあり流れるようなレイアウトを保つのです。この配線のクオリティはその後表彰を受けることになります。
当社の社員はほんとうに宝なんです。

水居:すばらしいエピソードばかりですね、大星電機さんは。

若松:いやいや、悪いこともありました。だまされることもたくさん。でもそのたびに社員に助けられました、そして多くの人たちにも。

水居:人に恵まれる、ですね。
これからの大星電機はどうなっていくのでしょうか?

若松:まもなく社長を息子に譲ります。グループ企業も増え社員も100人を超えました。
50周年を迎えますが、100年以上続く企業に育てたい。それには人材育成が大事であり、大星マンはすばらしいという企業にしていきたいですね。

水居:最後に、故郷の宮崎についてなにか言葉をいただけませんか?

若松:いろいろと思いはありますが、宮崎の若者は必ず一度は都会に出てくるべきと思っています。
宮崎県の施策とは合わないかもしれませんが、せめて大手企業、大都会の経験を積んでから、宮崎に帰ってほしいと思います。
活躍の場を狭いところにとどめず、チャレンジしてほしいと思います。

水居:今日はいろいろとお話いただき、ありがとうございました。

プロフィール

若松泰誼 さん

大星電機株式会社の代表取締役社長。
宮崎県日南市の吾田出身。
大淀高校卒業後就職し、29歳で独立。その後、電機、電子・ハーネス・ロボットティーチング・ソフトウェアなどを取り扱う大星電機(埼玉県)を創業。
大星電機のハーネスは、宇宙ロケットや国際宇宙ステーションにも使われている。

記念すべき第一回目のインタビューは、宮崎県日南市出身で大星電機株式会社の創業者・現代表取締役社長である若松泰誼さんに話を聞きました。